関急財団

☝ 上の画像については、深く考えるな。

以上。

概要

関急財団は、関急ホールディングス傘下の調査・研究機関である。

実質的に関急グループ傘下企業のためのコンサルティング機関として機能しており、関急財団が4年に一度まとめる『経済戦略白書』は関西急行鉄道をはじめ、関急グループ企業各社の経営方針に大きな影響を与えている。

関急財団のトレードマーク

急財団のトレードマークは鳥をモチーフにしている。

これは、全てを見通すという意味が込められている。

☝ 舌がベロ~ンと出てます。(笑)


沿革

関急財団は、1933年に遠坂家が出資して設立した大阪経済輿論研究所を前身としている。

大阪経済輿論研究所は遠坂家が実質的な経営者であった心斎橋銀行の一機関として機能してきたが、日中戦争の激化に伴う経済統制による金融統合により心斎橋銀行は他行に統合されてしまったため、大阪経済輿論研究所は京阪急行鉄道の傘下に入った。

戦後、近畿日本鉄道から分離・独立した際、関西急行鉄道の傘下組織となり、組織名称も関急経済研究所となった。

1978年、組織の拡大に伴う調査・研究対象の拡大が行われ、また同時に、組織名称も関急財団と改めた。

 

 ・1933年 大阪経済輿論研究所が大阪市東成区蒲生町(*1)に設立される。

 ・1939年 心斎橋銀行が他行に統合されたため、京阪急行鉄道の傘下に入る。

 ・1944年 戦争の激化に伴い、事実上の活動停止。

 ・1945年 大阪大空襲により研究所が焼失。

 ・1946年 近畿日本鉄道梅田営業局の一室を借りて活動再開。

 ・1947年 関西急行鉄道が発足したことにより、関西急行鉄道の傘下機関となる。

 ・1949年 大阪市東成区中浜町(*2)に本部事務所を設置。

 ・1958年 大阪市城東区鶴見町(*3)に研究所本部ビルを建設し、本部を移転。

 ・1978年 組織が拡大し、名称も関急財団に変更。

 ・2007年 財団本部が老朽化したため、建て替えられる。 

経済戦略白書の影響

関急財団がまとめる経済戦略白書は関西急行鉄道をはじめ、関急グループ企業各社に影響を与えている。

ここでは、特に影響を与えた経済戦略白書について記載する。

 

 ・1985年経済戦略白書

1985年に関急財団がまとめた白書である。

当時はまだ人口の増加に伴う通勤・通学客の増加が予想されていた時代であったが、関急財団がまとめた白書では、1990年代半ばに通勤・通学客のピークを迎え、以降は減少に転じるとしていた。また、日本の総人口も2000年代から2010年代にピークを迎え、以降は減少し続けると予想していた。

そのため、これまでの単純な増強策ではなく、抜本的な鉄道運用体制の見直しを提言していた。

これを受けて、関西急行鉄道では通勤特急の導入や、観光特急のサービス強化、駅の近代化などが行われた。

 

 ・2001年経済戦略白書

2001年に関急財団がまとめた白書である。

関西急行鉄道のグループ企業は鉄道事業会社の関西急行鉄道にぶら下がるという形で成り立っていたが、これでは効率的な経営体制ではなく、また、全体を俯瞰する経営戦略が不明瞭だとして経営体制の抜本的な見直しを提言していた。

これを受けて、関西急行鉄道は事業が重複している企業の統廃合、不採算事業と判断された企業の売却・解散、そして、ホールディングス会社の設立とホールディングス会社が統括する体制への移行へと進めることとなった。

グループ企業の多さなどから、統廃合などの再編に時間がかかり、ホールディングス会社が統括する体制に完全に移行したのは2015年になってからだった。

 *1  現在の大阪市城東区蒲生。

 *2  現在の大阪市城東区中浜。

 *3  現在の大阪市鶴見区鶴見。